読書と映画できがついた
僕は恋愛のせいでいろんなものひっちゃかめっちゃかにする人が理解できない。
東野圭吾の小説が好きで結構読んできたが、彼の小説に登場する男女って、けっこう恋愛のいざこざでほかのことを犠牲にするような輩が多い気がする。
だから、最近疲れちゃった。読んでて疲れる。共感できなさすぎる人種が多いと、疲れちゃうんだ僕は。
なんで恋愛で狂えるんだ?なんで恋愛で人を殺せる?
まあ普通の人はそんなことしないんだろうけど・・
小説の中でさえ違和感を持ってしまう。
500日のサマーが嫌い。ああいう、自由な女に一直線になっちゃう男が嫌い。
ああいう、自分にしか矢印が向いていないくせに、女が好きだと錯覚しているタイプのロマンチストな男が大嫌い。なぜなら。。そいつらは僕みたいな女に無関心だから笑
でもたぶん僕が男だったら、、サマーみたいな女がかなり好きだろう。
気持ちがわかってしまうがゆえに好きになれないものもある。
僕の嫌いは、ほぼ『うらやましい』である。
自分がなりたくてもなれない人、自分が手に入れたくても無理なものを持ってる人、すごくうらやましくて、もう嫌いになっちゃう。
繊細じゃない人がうらやましい。
でももしかしてさ。特定の人にはさ、僕が繊細ではなく映ってたりして?
サマーみたいに、映ってたりして?
早く学校終わらないかなあ。
もう誰にも会いたくない。
誰にも自分のみじめな状況を知られたくない。
いい状況だけ、知っててほしいな。
もう、自分で自分がいかにみじめか説明するのに疲れちゃったよ。
じゃあ黙っていればいいんだろうけど、むずかしいよ。
マウント取らない人と仲良くなりたい。
人が何言ってもマウントと感じない人になりたい。
非・繊細さんになりたい。鈍感になりたい。
この性格で得したことがあるのだろうか?
自分と似ている人を見ると、哀れになる。
共感が嬉しいというよりは、
ああ、かわいそうに、つらいよね、わかる。
となる。